リトリート留学

「リカレント教育」という言葉を最近知った。

「繰り返す」・「循環する」といった意味で、欧米におけるリカレント教育は、仕事を辞めて教育機関で学び直した後に、再就職を繰り返すという意味で用いられている。

日本においては職場を離れずに学び直すこともリカレント教育と呼んでいるそうだ。
かつて休職して1年半ほど留学した身としては、名付けてもらえたようでちょっと気分が良い。
私の場合、語学の学習やスキルアップ、キャリアチェンジを目指したわけではない。

留学というモノをしてみたい、異国で生活してみたいという夢想といってよい漠然とした気持ちだった。
それは日々の中で浮かんでは消えてしまう息抜きのような、いつものちょっとした思いつきに過ぎなかったはず。
それが少しずつ現実味を帯び、その決意が固まり、具体的な作業や行動を始めたのは、いったいどういう化学変化が起こったのだろうか。

当時、仕事は充実していた。プロジェクトリーダー的な立場でやりがいもあった。
かなり厳しい業務をやり切った後の達成感も。まずは順調な会社生活といってもいいだろう。
順調なのに、あるいはだからこそ何か他に手を出したくなる、という心理ってあるのだろうか。

どこへ行く?

前述したように留学の唯一の目的は「異国で生活する」こと。
語学の習得や留学経験を仕事に活かすなどの考えは、まったく念頭になかった。
「オーストラリアに留学したい」とか「フランス語を学びたい」などの動機だったら、おのずと留学先+言語が対になるはず。

しかし、私の目的は繰り返すが「異国で生活する」。
それゆえ、最初に決定すべきことはどの国に行くのか、ということ。
真っ先に英語圏は除外。これから英語を学んでどれほどの成果が望めるか、という経験に基づいた諦念のような気持ち。英語の「呪い」をどうしても払拭することができないのだ。

休暇で訪れた東南アジアの国々はどうだろう。
マレーシア、インドネシア、タイ、ベトナムなど。これらの国は気候といい、食べ物といいかなり魅かれるものがある。
次にそれらの国の言葉は? どの言語も未知数過ぎて比較できない。
覚えやすい言語が望ましいが、その判断もできない。

では、文字に注目したらどうだろう。アルファベットならとりあえず馴染みはある。とすると、タイとベトナムは却下。
どちらの言語もかなり発音が難しいらしい。

となると消去法で、マレーシアかインドネシアの2択となる。

ネットで「留学」「インドネシア」「マレーシア」をキーワードとして検索作業に没頭する。楽しいなあ。
しかし、なかなか自分の状況に合致した留学に関する現実的な情報を得ることができない。

そんな日々、とびきりの掘り出し物といっていいWebサイトに遭遇したのだ。

インドネシア留学経験者であるAさんが、ご自分が留学したI国立大学で開講している「外国人のためのインドネシア語コース:通称BIPA」に入学するための情報を懇切丁寧に解説していた。
その他にも生活全般について盛りだくさん、まさに情報の宝庫だった。

このWebサイトに記載されたとおりに実行すれば、必ずや留学できるに違いない、と信じさせてくれる「経験の力」があった。
この導きが決定打となり、留学先はインドネシアに決定した。

情報収集・準備は楽しい

情報収集の第一歩は、このAさんのWebサイトを精読・熟読することからスタートした。

大学や学部の説明、在留及び入学するために必要な書類、授業料など留学するための必須条件に関する情報だけでなく、現地での生活などについても写真をまじえて、かなり多くの情報を得ることができた。

たとえば、通学時の近道である幅1メートルにも満たない小路に生息する巨大ネズミの生態など、なかなかに刺激的な情報も。

次に、Webサイトのお勧めに従って在日インドネシア大使館を訪問した。
当方の質問に対して、大使館の職員の方が親切に対応してくださった。

入学するために必要な書類を不備なく揃えて大使館に提出すると、大使館経由で大学に提出される。
その後、入国管理局や大学の審査が通ると大使館から学生ビザが発給されるという。

並行して少しずつ必要書類の準備に取り掛かる。大学の卒業・成績証明書、保証人、銀行口座残高のコピー、推薦状(英文)などなど。

学生が留学する場合であれば、在籍する大学を通して手続きすることも可能だと思うが、当方はかなり年季が入った社会人。
その社会人のスキルを存分に発揮し、粘り強く進めていった。

これらの準備に約1年弱かけただろうか。急ぐ必要はない、楽しみながらだ。
学費と生活費の確保など経済面の補強、中盤は家族への宣言と懇願、後半には休職のための根回しも。

また、いくらなんでもインドネシア語の知識0(ゼロ)では不安過ぎるので、週一回インドネシア語を学ぶため学校に通い出した。
予想に反してインドネシア語学習は、思いがけず楽しい。

仕事でも新たな知識を得るため学習することはあるが、それとは明らかにに違う。
スカスカのスポンジ脳にしゅわしゅわと水が浸み込んでいくような感覚。

「異国で暮らす」という目的の後ろに、こっそりと「もう一度、学生生活におくりたい、学びたい」という気持ちが隠れていたのかもしれない。

初めて英語を学んだ時の嬉しさ、はるか彼方に運んでくれるのではないかという期待、その彼方に自分もたどり着けるに違いないという楽観的な考え、それに似た感情がインドネシア語を学ぶことにより蘇った。

苦労するという予感と確信があるのだが、それがどうしたとも思うし、これが学ぶ楽しみというものかもしれない。
生来自信がない記憶力はさらに落ちてはいるが、思考力や理解力はどうだろう。ポジティブ思考が我ながら素晴らしい。 

本留学前に行ってみる

必要書類を在日インドネシア大使館に提出し、学生ビザの発給を待つ期間を利用してジャカルタに行ってみた。
ジャカルタに行くのは初めてだった。

実際に大学を見てみたいという気持ちはもちろんあるが、それ以上に最重要ミッションは住むところを決めること。

幸運にも、インドネシア語の先生はインドネシアからの国費留学生で、同じく国費留学生ですでに帰国した友人を紹介してくれた。その友人を介してアパートを確保することができた。

予想は良い意味で裏切られた。

15階建ての近代的なアパートで、大学へは徒歩圏、大通りに面しているので買い物、外食も便利そう。
にもかかわらず家賃も許容範囲内、それどころかかなり格安。日本に比べて物価の安さは魅力的であり、重要ポイントだ。

大学は広大な敷地で、一人ではとても把握しきれない。学部と学部の距離もかなりあって校内をバスが運行していた。

レンタル自転車やバイクタクシーもあるらしい。

構内の案内図を頼りに、留学する学部の事務局のようなところになんとかたどり着いた。
そこで訪問の趣旨を説明し、無事留学できたら学ぶ教室や食堂などを教えてもらった。

当時の私のインドネシア語レベルでどう意思疎通したのか、奇跡といっていいだろう。

食堂は学生たちの食欲と若さが溢れていた。

数匹の猫が紛れ込んでいるが、誰も気にする様子はない。
たぶん猫たちはランチのお裾分けを狙っているのだと思われる。
学生たちは友人との会話に熱が入っていて、猫はなかなか食事にありつけない。時には邪険に追い払われている。

数か月後、私はこの場にいるのだ!

猫がちょい苦手なので、残念ながら彼らには私からのお裾分けも諦めてもらおう。

新生活始まる

家族や同僚としばしの別れを告げ、ビザ書類を握りしめて日本を出国した。

授業が始まる前にやらなければならないことがかなりある。
誰も教えてくれないので、この時も例のWebサイト情報が命綱だ。
一つでも不完全だったら莫大な罰金を徴収される破目になりそうだ。

最初に地方入局管理局で申請。行ったら雨で責任者が遅れているので、出直すよう告げられた。

なんておおらかで寛大な国だろう。

続いて地元警察署、市役所、日本大使館、最後は警察庁本部(みたいなところ)で必要な手続きを行った。
いずれの場所でも、職員ではなく、私同様に申請に来ていたインドネシアの方々が助けてくれた。
彼らはおそらく代理で申請するエージェントの方々と思われる。
おたおたおろおろしている私をみかね、次から次と先を争うように救いの手を差し伸べてくれた。

なんて親切で愛すべきお節介な国だろう。

BIPAは1学期から3学期までのコースがあり、1学期クラスは無試験で入学できる。
2学期コースはいわば飛び級で入学試験がある。

外語大のインドネシア語学科の学生は、試験に合格して2学期コースからスタートすることが多いとか。
私は言うまでもなく1学期コースからスタート。同じ1学期コースが3クラスあった。
コースの開講時期によりクラス数は増減するそうだ。

授業は月曜日から金曜日、朝9時から昼休みをはさんで15時まで。
中間試験と期末試験があり、試験に合格しないと次の学期に進級できないというシビアなカリキュラムだ。

私のクラスは20名。
その構成は中国人の留学生が1名、タイから布教にいらっしゃったオレンジ色の袈裟を纏った僧侶様1名、日本人は私だけ、他は韓国人というものだった。
国籍も母国語も異なるため、インドネシア語で会話するしかない。
それが逆に親しみを深めたような気がする。

語彙数や文法、表現に制限がある方が、よりその表情や声に気持ちが込められ、関係性を深めるとはなんとも逆説的ではないか。

例の食堂に学友たちと足を踏み入れた。
案の定、既知の猫たちが近づいてきたが、ごめんなさいと無視した。

学食のメニューはとてもシンプルで、多くの学生は別で買った食べ物を持ち込んでいる。
食堂はここだけでなく何か所かあるが、なんと韓国料理店も大学の構内にあった。
とにかくインドネシアの食は驚きに満ちている。いくつかのエピソードを話す機会があるといいのだが。

途中を端折ってしまうが、「やばい」成績だった学期もあった。それは2学期。
すっかり地元に馴染んで旅人から居住者に格上げ。

居住者は地元の付き合いもあるし、安くて美味しい屋台も知り尽くし、顔見知りになった市場で食材探しもせねば。
そんな次第で、1学期ほど生真面目に帰宅後も勉学に取り組むことが疎かになった結果だ。
しかし、なんとか3学期修了までたどり着き、無事1年半余りの留学を終えることができた。

修了式で手にした、今では少々くすんだ金メダルは、あの留学が確かに現実だったという証でもある。

大人の留学

留学は社会経験を積み、仕事に裏付けられた処理能力があり、少々のことでは動じない適応能力もあり、社会常識がある大人にこそ適しているのではないか。

結果や成果ではなく生活を楽しむ、未知に驚く、時に傍観者となり時に当事者となり、期間限定だからこその醍醐味を満喫できる。それが大人の留学であり、大人の学び直しではないだろうか。

「日常生活から離れてリフレッシュする時間をもち、心身ともにリセットする」といった意味で、リトリートという言葉がある

語源はリトリートメント(Retreatment)で、本来は避難所や隠れ家の意味を持っていた。私にとって留学はある種リトリートの意味合いもあったのかもしれない。

そのリトリートの成果なのか、結局休職を許してくれた大恩ある会社には戻らず、インドネシアで就職することになってしまったのだが、その顛末はまたの機会に。

もしも、この拙文を楽しんでいただきインドネシアにご興味が湧きましたら、なんなりとお気軽にお問い合わせください。

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